学ぶ のハナシ

私たちは、小学校から高等学校、大学に至るまで
なんと16年間も勉学に励んできた。
そう考えると、なんとも恐ろしく長い時間を費やしてきたものだ。

私は、日本海側唯一の政令指定都市で生まれ育った。人口100万人という指定条件を満たすべく「平成の大合併」によって、私の馴染みのある地名は消えた。過去の記憶に触れられるのは、駅名と商店街に掲げられた赤錆に色褪せた看板だけだ。

その消えた"市"立小学校から始まった、私に施されてきた教育といえば、教室に机を並べて、チャイムが鳴って…などと思い返せば、どこか軍隊育成のようだ。

毎日登校することによって、学習習慣を植え付け
クラスメイトと過ごし、集団行動を覚える。
いつしか興味のある科目を選択できるようになり、いつのまにか将来を見据えた選択を強いるレールに乗っかっていることに気付かされる。

野山を駆け回り、ザリガニに赤とんぼを追い回して、目を輝かせていた純粋無垢な少年が、こんなところまで来てしまった。

私はいま30年を生きてきて40年という未踏の世界が眼前に迫ってきている。

キャリアとして大事な時期であり、1番精力的な世代に差し掛かったものと思う。

それが、いま 野山 にいる。
なぜかはわからない。
わからないと言えば、言葉足らずであるが
流れ着いたのは、名の無い 野山であり、平野であり、海原でもある。
追い求めたのは、真赤な甲殻を持ったザリガニでも無く、黄金色に揺れる平野を泳ぐ赤とんぼでも無い。

私はいま、どうあるべきか
なんと自分を探しにきたのだ。

音すら失った街から
悩む人をそっと支えるヒトになろうとしている。
私は、劣等生だった。
それでもなんとかここまでやってきた。
大して結果も残していないのに、同じような劣等生(失礼だな)を救いたいなどという無謀な企みに盲目してしまった。

この世界を生きていくには、16年間では足りないらしい。これは衝撃だ。全世界の少年少女に伝えたい。毎日校舎に向かうだけで、机に突っ伏していた純粋無垢アガリの少年では気付くわけもない。

いまになって気付いたのだ。
「生涯勉強」なのであれば
それに付き合うモノが必要だろう

それを作り出す というハナシである。

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